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ウルフ四分割ミーントーンについて考える

ゴルトベルク変奏曲で使ってみたウルフ四分割ミーントーンで、色々な曲を鳴らして使い勝手を試しています。



この音律は、通常のミーントーンから3つ音を変更しています。
調性や音の組み合わせにより、多少崩れることはあっても、ミーントーンのように突然変な音が鳴って、大崩壊(爆)するようなことはなく、17世紀ものや#や♭が2個くらいまでの曲に、かなり使い回しができそうです。
最近は「何でもヴァロッティ」な風潮があると聞きましたが、チェンバロやってるならミーントーンの響きを知らなきゃ絶対ソンですよ♪
そういう意味で、常用調律にもおススメな音律です。

しかし五度圏図が読める方なら想像がつくでしょうが、この音律で「平均律クラヴィーア曲集」はちょっと無理あるかな・・・ですね。
一応第1巻からサンプル(笑)──── 1番・ハ長調プレリュード



↑↑↑これは良いですけど、↓↓↓こっちは・・・
3番・嬰ハ長調(#7つ)プレリュード



分散和音で書かれてるので、予想したよりはマシですが、終止和音が汚すぎますよね。
もっとも私は以前、ヴェルクマイスター使用というふれこみの「平均律~」のCDを聴いた時に、ハ長調がそれほどキレイなわけじゃないのに、嬰ハ長調もたいして崩れないのでガッカリした覚えがあるんです・・・「何だ意外とフツーじゃないか、つまんね」(笑)でしたが、このウルフ四分割ミーントーンくらいの調性感?があれば、満足したのかもしれません。
でも、テンポが遅いとか同時打鍵の和音が多い曲では、調号の多い調を中心にこの音律では聴き辛いし、演奏者にも好まれるとは思えないですね。

それで、インヴェンションとシンフォニア(#・♭4つまで)なら使えるかな?と思ったんですが、試してみると意外と細かな不具合が多いんです。
もちろん合う曲も多いんですが・・・「通し」は厳しい感じ。
つまり、インヴェンションとシンフォニアは(もし一つの音律で通すなら)もっと「均した」音律が想定されてるようなんですよ。
⇒ これについては、次回の記事で考えてみます。

一方、組曲系(フランス~、イギリス~、パルティータ)は思いのほか良いんです、これが!
思わず聴き惚れてしまうようなものも・・・♪
どうもバッハのチェンバロ曲は、組曲系 ⇒ まだミーントーンを引きずってる音律、「平均律~」「インヴェンション~」⇒ 新傾向の音律──と分けられるような気がしています。
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組曲系と練習曲系

REIKOさんのご指摘は正しいように思えます。「インヴェンションとシンフォーニア」や「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」は、息子達や弟子達の教育を目的として作曲されたのに対して、組曲は、伝統的な音楽様式に則って作曲された作品と思われますから、その作曲に際しての姿勢に違いがあったのでしょう。組曲系では中全音律を基本に、破綻のない書法を取ったと思われますが、練習曲系の作品では、演奏技術、表現技法を学ばせることが目的でしたから、組曲の場合のような考慮はしなかったのではないでしょうか? 聴いて楽しいあるいは弾いて楽しいのは、組曲系の作品と言うことになるのではないかと思います。

音律が先か曲が先か

  • REIKO
  • 2012/06/29(Fri)21:10:39
  • 編集
ogawa_jさん、

>作曲に際しての姿勢に違いがあったのでしょう
そうですね・・・やはり組曲系と比べて「インヴェンション~」「巧みに~」の方が、練習曲系というだけでなく、音楽的にも新傾向(インヴェンション~は、ポリフォニックな曲が多いがフーガとは違う、巧みに~は、バロックとしてはかなり斬新な曲調や和音があるし、当然それまでほとんど使われなかった調が含まれる)な面が多いですよね。
鍵盤曲の作曲で「新しいもの」を狙う時、音律が先か曲が先か・・・はニワトリが先か卵が先かみたいなもので、特定は難しい問題ですが。
ピアノ界(笑)では練習曲系の方が必須教材として重要視されてるようですが、音律的にも平均律との相性が良いんだと思います。
ミーントーン・ベースで書かれた曲を平均律で弾くと、和音が汚くてみっともない箇所が出ますから。

WTCは音律先行でしょ(笑)

どうもご無沙汰です。当方、純正律研究が面白すぎていけませんわ。
1番は全く問題ない感じですね。3番プレリュードの方は、途中までは未だ耐えられる響きか?と思いましたが、流石に最後の和音はいけませんわ(笑)。私的にはWCTは「ジョビン」で決まりかな、と考えてます。
>ピアノ界・・音律的にも平均律との相性が良い
 これですが、「現代」の「楽器」はそうなのかも知れませんが、少少なくとも古典派、特に初期の曲は「純正律」想定としか思えなくなってきました。例えばモーツァルトの有名なイ長調ソナタ(トルコ行進曲付き)を王道型Aルートで鳴らしてみてくださいよ、びっくりするから。(モーツァルトは同主調転調がやたら多いんですよ。)
クーラウについても先日記事にしました。チマローザで「オイラー」純正律が使える曲も発見しました! いやぁ面白すぎる純正律研究(笑)!

想定音律って?

  • REIKO
  • 2012/06/30(Sat)02:36:36
  • 編集
kotenさん、

>3番プレリュードの方
これはやっぱり最後の和音でガックリきますよね。
この曲は、他のもっと均した古典音律を試しても、最後の和音でガックリ来るのは同じです。
(分散和音と同時打鍵で、聴こえ方の「ギャップ」が大きいので)
どうしてこんな終わり方してるのか・・・???
で、特に第一巻の方は短調曲でピカルディ終止が多く、短調のまま終わればまだ良いのに、わざわざ不良が目立つ長三度を使うなんてどういうことかと、バッハの意図を計りかねています。
終止和音なんてどうでも良かったのか、それとも一種のテストとして、最後に長三和音を鳴らしてみたのでしょうかね・・・

>ピアノ界・・音律的にも平均律との相性が良い
これはogawa_jさんおっしゃるところの、バッハの「練習曲系」(「インヴェンション~」や「WTC」)が、少なくとも「組曲系」よりは平均律と相性が良い(「マシ」程度ですが)という意味ですよ。

>モーツァルトの有名なイ長調ソナタ
このソナタは何故か?全楽章イ長調開始なので、「王道純正律」の適用もわかりますが、禁則に触れる箇所があちこちに散見できるなら、それで作曲された可能性はほぼ無いと思います。
(まともな作曲家なら、禁則は徹底的に避けるか、使う場合はハッキリ意図して&それなりの効果を狙って使う ──── 何となく禁則にカスッた・・・みたいな書き方はしないはず)
一応試してみますが・・・でもトルコ~の嬰ヘ短調部分のE#や、第2楽章(1・3楽章に比べて和声や転調が複雑だし、トリオはニ長調)なんか危ない感じですよ。
でkotenさんのおっしゃる「想定音律」って、「作曲音律」とどう違うのですか?(それとも同じ意味?)
ある音律がある曲に「使える」からといって、それで作曲されたとかその音律「想定」とは簡単に言えないと思うんですが・・・
以前私が、現代日本作曲家のピアノ曲で、ピタゴラス律やミーントーンが使える例を示しましたが、使えて良好だからといって、作曲家がそれらの音律を「想定」して作曲したとは全く思っていないので。
↑↑↑この試みで「(特殊な音律でも)偶然適合する場合が結構ある」ことが分かったと言えます。

「規範」音律と書くべきだったか

>kotenさんのおっしゃる「想定音律」って、「作曲音律」とどう違うのですか?(それとも同じ意味?)
 回答書いてたら凄く長くなってしまいました(汗)がご容赦を。
 「和声・調性の曲」を作る上で、(西洋の芸術音楽の)作曲家を心理的・精神的に拘束する度合いの「高い」音律と「そうでない」音律があると思うんですよ。
 で、「そうでない音律」の最高峰(笑)、王者、ラスボス(爆)が言うまでも無く12等分律(12ET)ですよね。オクターブ以外はカオス(混沌)の世界、言い換えると「和声・調性」のシステムから切り離されている音律ですので(だからこそ批判される、私に陰※音律とまで書かれてしまう(汗))。
 一方、「そうでない音律」の「真逆」が、今研究している同主調転調可能型の純正律ではないかな、と感じています。少なくとも「短調」曲や「同主調転調」曲を作る際に作曲家の精神を「常に拘束」したのではないかと。ですので、その意味からすると、今回のコメントで使った「想定音律」という用語は「規範音律」と言い換えた方がより正確かもしれない、と感じてます(すみません)。

 同主調転調可能型純正律の具体的な拘束の仕方としては、例えば、「短調」曲や「同主調転調」曲を作る際には、「まずは増5度音ではなく短6度音の方を最初に使うべし」という作曲上の「規範」が(いわば自然発生的に)出来て、その規範が(例えばブルグミュラーの「素直な心」の変イ音のように)「長調」曲にまで拡張される、といった具合です。つまり、西洋音楽の作曲上のルールの「根源(ルーツ)」はこの音律にあるのではないか、ということです。

 ですので、モーツァルトの音律論に関しては、「同主調転調可能型の純正律」を彼の曲に適用した場合に(完全適合するか否かよりもむしろ)「ルーツ」を感じるか否かということを聞いてみたかった意味があります。(モーツアルトの精神的なルーツがヴェルクマイスターやヴァロッティの音律というのは、どうも違和感があるんですよ(汗))

なるほど、納得しました

  • REIKO
  • 2012/07/01(Sun)15:37:06
  • 編集
kotenさん、
丁寧な説明、ありがとうございます。

>「規範音律」と言い換えた方がより正確かもしれない
ああなるほど、そういうことなら納得できます。
例えば伝統的な和声や対位法の規則も、個々の作曲家がそれをどの程度重要視しているかはともかく(中にはそれを打ち破ろう・・・とする人もいるので)、それらが一定の力?をもって存在する限りは、意識するしないは別として「精神的に拘束される」ことが考えられますが、音律にもそれがあるのでは?ということですね。
(↑↑↑・・・でいいんでしょうか?)
鍵盤楽器音楽の場合、音律は重要「問題」なので、それは考えられると思います。

>モーツアルト
彼は脳内作曲(笑)だから、本当のところは何モノにも拘束されてない・・・ってのがオチな気もしてますが。
既存の有名音律の中から選ぶなら、私はヴェルクマイスターでいいのではと思ってますが、だとしてもそれは現実に楽器で演奏する場合のことで、それが「精神的なルーツ」とまでは思ってないですね。
(これはヴァロッティ説の人も同様だと思います)

ともあれ記事書いてみました

>(↑↑↑・・・でいいんでしょうか?)
 まぁそんな感じです。というか、少なくとも短調とか同主調転調の曲を書くときは、必然的にこの音律をベースにせざるを得ないと思うんですよね。
 とりあえず記事書いてみましたので。
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/2012-07-01
 k331のイ長調ソナタは通常「トルコ行進曲付き」と呼ばれているので、もしかしたらトルコ行進曲は「後で付け足された」可能性もあるのか、と推測してます。音律に非常に忠実で音の使い方も保守的な第1楽章&第2楽章に比べて、終楽章のトルコ行進曲はめまぐるしい転調を繰り返す大胆な曲想であり、あたかも「音律の限界に挑んだ」ような雰囲気を感じます。

>本当のところは何モノにも拘束されてない・・・ってのがオチ
 これも良く分かります。私はどちらかというと(バロック後期の)バッハの方にこれを感じます。 モーツァルトの頃は未だ古典派の前期だったこともあって、使用する音とか和声とかが未だ保守的な傾向があるので、使用音律も「より原始的なもの」を疑ってしまう、というところです。

試してみましたが・・・

  • REIKO
  • 2012/07/03(Tue)21:05:03
  • 編集
kotenさん、

>k331のイ長調ソナタ
王道純正律のA型で試してみましたが、楽譜を見て予想していたよりずっと「悪い」ですよ・・・(^o^;)
これじゃ純正律が可哀想という感じです。
つまり音律そのものが悪いんじゃなくて、曲と「合ってない」ので欠点ばかり目立つんですよ。
具体的にはこれからそちらへ伺って、詳しくコメントしますので。
で、「トルコ行進曲付き」と呼ばれてるのは、単に第三楽章の「トルコ行進曲」が単独でも弾かれる(聴かれる)くらい人気になったので、その曲が「付いてる」ソナタ ──── というだけのことではないでしょうか?
(単なる通称ですし)
第三楽章は後で付け足されたというような話は聞いたことがないですけど。

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